お盆に重たい話をしても仕方がない
お盆や正月は、文章にしろ音声にしろ読んでもらえないし聞いてもらえない。
これは僕の話がつまらないからではなく、一般的な現象である、ということにしておきたい。
みんな忙しいのだ。
小難しい話に付き合っている余裕などない。
というわけで今日は軽い話をしてみたい。
ずっと引っかかっているのに、いまだに答えの出ていない話だ。
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新しい料理は、構造的な課題を抱えている
混ぜ麺や汁なし担々麺の構造的な問題については、これまで何度も書いてきた。
歴史の長い料理は、途方もない試行錯誤によって課題が修正されてきている。
うどんやそばの完成度の高さは、その積み重ねの結果だ。
逆に言えば、まだ何百年も紡いでいない料理は、時間によるスクリーニングを受けていない。
粗が残っているのは当たり前なのだ。
僕が長く分からずにいるのが、汁なし担々麺における芝麻醤(チーマージャン)問題だ。
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元祖は、芝麻醤を使っていない
広島の汁なし担々麺は、舟入の「きさく」から始まった。
2003年から汁なし担々麺専門店になった。
その「きさく」は芝麻醤を使っていない。
芝麻醤というのは要するに練りごまのような調味料で、四川の古いスタイルに則れば使わない。
「きさく」はそこを踏襲したわけだ。
だがその後に続いた店、たとえば「くにまつ」などは芝麻醤を使っている。
使う店が多いのは、味が分厚くなるからだろう。
混ぜ麺というのは、スープという逃げ場のない料理だ。
タレと麺だけで満足させなければならないから、濃い味で食わせることになる。
ところがシャバッとしたソリッドな味付けでは、その濃さがボディにならない。
しょっぱいだけの一杯になってしまう。
そこを埋める道具として、油脂とタンパク質を同時に持ち込める芝麻醤は非常に有効なのである。
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陳建民が足したもの
そもそも日本に担々麺を伝えた陳建民の汁あり担々麺にも、芝麻醤は使われている。
というより、汁ありという形式そのものが、日本人向けの翻訳として生まれたものだ。
赤坂の四川飯店では、元の汁なし担々麺も提供されている。
そしてこの店の芝麻醤は、胡麻を炒るところから自家製している。
炒って、挽いて、温めた油を数回に分けて注ぎながら練り合わせていく。
つまり芝麻醤そのものは、担々麺にとって異物でも何でもない。
それなのに僕は、広島で芝麻醤入りの一杯を食べると、しばしば重い、しつこい、くどいと感じる。
この感覚はなぜなのか、何が問題なのか、今日この話をした時点でもまだ分かっていない。
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仮説は、落花生である
調べていて一番あり得ると思ったのが、市販の芝麻醤にはピーナッツを加えた製品がある、という事実だ。
ペースト状のピーナッツ、ぶっちゃけピーナッツバターである。
僕はピーナッツバターが苦手だ。
ピーナッツそのものは好きで、素煎りしたものは美味しいと思う。
千葉のものは品種も豊富で楽しい。
ただ、たくさんは食べない。
油脂が多く、油の質が重たいと感じる。
アレルギーではない。
あくまで感覚の問題だ。
その重さを持つものが芝麻醤に混ざっているとしたら、重いと感じるのは当然ではないか。
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反証になりそうな二つの経験
なお、しゃぶしゃぶ専門店の胡麻ダレを重いと感じたことはない。
あれは店の味の決め手になる位置にあるが、しつこくて嫌だと思ったことはなく、むしろ上手に胡麻を使っているなと感心する。
胡麻ダレに対して、僕はネガティブな感情を持たないらしい。
以前イマナマ!でも紹介した横川の「春蕾」。
ここの担々麺は汁ありも汁なしも食べたが、重いと感じなかった。
そして「春蕾」は中国産の芝麻醤ではなく、かどやの練りごまを使っていると聞いている。
ピーナッツペーストが入る余地はない。
この二つが、案外決め手なのではないかという気がしている。
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確かめようのない仮説
もちろん他の要因も考えられる。
ひとつは乳化の状態だ。
芝麻醤がタレの中できちんと乳化しているのか、それとも分離して油が浮いているのか。
同じ材料でも、口の中に入ってくる順番が変われば重さの感じ方は変わる。
もうひとつは鮮度と酸化。
油の多い調味料だから、開けてから時間の経ったものは、それ自体が重さとして出てくる可能性が十分ある。
ただ、料理として必要のない重さ、すっきりしない後味の正体としては、僕はやはり落花生の混入を疑っている。
問題は、確かめる手段がないことだ。
アレルギーがあるわけでもないのに「お宅の芝麻醤、ピーナッツ入ってますか」とは、なかなか聞けない。
自家製している店で食べ比べたいとも思うが、広島でそれが確実に行われている店をどう探すのかという話になる。
というわけで、この仮説が明らかになる日が来るのかどうかは分からない。
ふわっとした話だが、お盆なので軽くても許してほしい。
ピーナッツバターのように重くなかったのであれば幸いだ。