一人の人を、
何年も、何十年も想い続ける。
『嵐が丘』のヒースクリフ。
『グレート・ギャツビー』のギャツビー。
『本格小説』の東太郎。
『春琴抄』の佐助。
冷静に考えてみると、
かなり強烈な“執着”です。
それなのに文学の中では、
「一途な愛」
「悲恋」
「ロマン」
として受け取られることがある。
では、女性の強い想いはどうでしょう?
六条御息所。
お岩さん。
『華岡青洲の妻』の女性たち。
こちらにはなぜか、
「嫉妬」
「執念」
「怨念」
「狂気」
という言葉が似合ってしまう。
同じように一人の人を強く想っているのに、
なぜこんなにも見え方が違うのでしょう?
そして考えているうちに、
そもそも、
**「純愛」と「狂気」を分けているものって何だろう?**
というところまで行ってしまいました。
行動そのもの?
男性か女性か?
誰の視点から物語を見るか?
それとも、
その物語を受け取る私たち自身……?
さらに話している途中で、
**「あれ? 私もやってるじゃん!」🤣**
と、自分でも鳥肌が立つ発見までありました。
今回は、
『嵐が丘』『グレート・ギャツビー』『春琴抄』などの文学から、
六条御息所やお岩さん、
そして自分自身の物語まで行ったり来たりしながら、
**「純愛」と「狂気」の境界線**
について考察しています🌸
同じ想いでも、
見る人や視点が変われば、
まったく違う物語になるのかもしれません。
あなたなら、
「純愛」と「執着」の境界線をどこに引きますか?😊