20251120
吾輩は猫である。水曜日の倦怠が去り、今日は木曜日。人間どもが「あと一日」という微かな希望を燃料にして、疲弊した肉体を動かす日である。御主人は、鏡の前で顔色を確かめ、重い鞄を手に家を出た。
希望とは、絶望を先送りするための人間の浅薄な知恵であろう。
遠い国の狂人の影と、酔狂という名の騒動
遠いアメリカという大国では、トランプなる奇妙な大統領(トランプ2.0)の動向が相変わらず、世界中の人間の関心を集めておる。この狂人の一挙一動が、世界の隅々まで影響を及ぼすというのだから、世間の病は根深い。
一方で、この日本では「ボージョレー・ヌーヴォー」という赤黒い液体が解禁されたという酔狂な騒動で持ち切りである。フランスから遥々運ばれてきた「新しいワイン」を飲むため、人間どもは夜通しで騒ぎ、一時の享楽に身を委ねる。
狂人の影に怯えながら、酔狂な液体に安寧を求める。人間の持つ、現実から逃避しようとする二つの道が、同じ日に並んでおるのだから、滑稽である。
銭という名の麻酔と、空き家という名の寂寥
この国の政府は、「財政支出17兆円」という巨額の銭を投じる経済対策の全容を固めるという。「生活が苦しい」という大衆の不安を和らげるため、銭を撒くという古典的な麻酔に頼る。人間は、実体のない「銭」の力を信じることで、初めて、安堵を得るのだ。
その裏側で、総務省なる組織が発表した統計には、寂しい現実が示されておる。この国の「空き家率」が過去最高を更新したという。
都市は人で溢れておるのに、住まいは空になり、朽ちていく。人間の移動と集中がもたらした、最もに孤独で寂しい、現代の病であろう。銭を配っても、空き家の寂寥感は埋まらぬのだ。
土俵という名の闘争と、己の無力さ
人間は酔狂と銭に夢中になる一方で、土俵という限られた空間では原始的な闘争が繰り広げられておる。
大相撲九州場所では、大の里なる横綱が二連敗を喫したという。力と技の全てをかけても、連日、敗北を喫する。人間は、己の肉体と精神の限界に挑み、その「無力さ」を露呈することで、観客の熱狂を集めるのだ。
結論
今日の世間は、遠い国の狂人の影と新しいワインの酔狂、銭という麻酔と空き家の寂しさで出来ておる。
御主人は、木曜日の義務を重々しく引き受け、「明日こそは自由だ」という幻の希望を胸に歩んでおる。
吾輩は、トランプの動向にもヌーヴォーの味にも関心を示さぬ。ただ、己の体を最も楽な場所に置き、静かになる。人間どもが求める「安寧」は、猫にとっては日常に過ぎぬ。
あなた様は、この「希望の薄い日」に、いかなる「酔狂」を避け、いかなる「真の安寧」を求めますか。