自分の「性」や「死」について、
誰かと安心して話したことはありますか?
先日、そんなテーマを正面から扱う対話瞑想の場を開催しました。
『iラボ対話瞑想会 in 東京』
iラボとは、自分を愛する実験の場。
体と心をベースにしながら、
対話とワークと短いサイレンスを組み合わせて行っている。
今回は、午前中に「性」、
午後に「死」というテーマを置いた一日だった。
死と生の探求
今回、とても心に残ったフレーズがある。
「誕生も、死も、与えられたギフト」
「生まれてやるぞ」と思って生まれてくるわけでもない。
そして「死」も、あるとき訪れるもの。
どちらも、自分の意志を超えて与えられている。
だからこそ、ギフトとして受け取りたい。
その言葉が深く心に残った。
また別の方が話してくれた、
「生き様は死に様につながっている」という体験談。
今思い出しても、胸に残っている。
いのちを真ん中に置いたとき、
どう死ぬかは、どう生きるかと離れていないのだと思う。
普段の生活では、死は避けたいものとして感じやすい。
体調を崩したとき、不安や恐怖が強くなることもある。
それでも同時に、
死もまた、与えられたものなのではないか。
「与えられたものを受け取って生きる」
それが生命なのかもしれないと感じた。
性の痛みと喜び
今回あらためて感じたのは、
男性も女性もいる場で、性について語れることの大切さ。
僕は男性なので、女性の身体感覚や感情を持つことはできない。
だからこそ、性に対する違和感や感覚を直接聴けることは、
独りよがりではない探求に欠かせないと感じた。
パートナー間で「拒否」が起きるとき。
断られる側には痛みがある。
けれど同時に、
拒否する側にも痛みや事情があることを、
今回受け取ることができた。
また、
「性とは欲と欲のぶつかり合いでもある」
という言葉も印象的だった。
合っているときは喜びになる。
ずれたときには、お互いが傷つく。
だからこそ、対話が必要なのだと思う。
「対話」と「瞑想」のあわい
今回、瞑想を深く実践している方々も場にいてくれた。
その方たちが受け取っていたのは、
瞑想そのものよりも「対話」の部分だった。
対話はアウトプットであり、
言葉にして初めて、自分の感覚がどこにあるのかが見えてくる。
一方で、対話は思考に寄りやすい側面もある。
そこに瞑想的な静けさや受容があることで、
思考だけに偏らない場が生まれる。
対話の能動性と、瞑想の受容性。
その両方がある場。
ここに、iラボの役割があるのだと改めて感じた。
最後に。
今回、性や死というテーマを通して、
自分自身もまだ探求の途中にいることをはっきり自覚した。
「わかっていない」という現在地に立てたこと。
それ自体が、大きな気づきだったように思う。
ひとりの人間として、この場にいられたことに感謝しています。
これを読むなかで、
自分を知ること、自分を大切にすることの、
小さなきっかけが生まれたら嬉しいです。
最近、自分の中で「避けているテーマ」はありますか?
<関連リンク>
♡ iラボ「わたしを愛して生きる実験の場」ご案内
https://www.yukafumi.net/etc/lovemyself.pdf