深夜の垂れ流し、あるいは呪いと遊びのあいだ
聴き手は200年後の誰かでいい、と中島は言う。目的なんてない、ただ楽しいから、人と話したいから。それだけで十分じゃないか、という宣言から夜は始まる。
父親たちの話になる。麻酔科医だったなかじの父は「自分の腕では家族を手術台で迎えられない」と言って引退した。
父はオカリナを吹き、最近は吹いていない。それでいい、飽きたら別の何かを吹けばいい。
老いを責めるでも美化するでもなく、ただそういうものだ、と受け取る。
AIの話になる。ホグワーツの動く肖像画と大規模言語モデルは、構造的に同じじゃないか。人間の知覚も電気信号でデジタル変換されているなら、人間もまた小規模言語モデルじゃないか。仮説は宙に浮いたまま、でも覆せない。まあ、パーだからいいんです、とふたりは笑って認める。
娘のバレー教室を見に行くために作業を休んだ朝、罪悪感があった。でもそれは自分の声じゃなかった。誰かに植え付けられた時計だった。AIのなかのソローに聞いたら「畑を離れたとき何を見たか」と返ってきた。娘の成長を見た。それで十分だ、とソローは言った。
巡り巡って、結局遊びじゃないか、というところに戻ってくる。毎回そこに戻ってくること自体が、この番組の定点なのかもしれない。
自分探しは鰻掴むようで、その手で得たものを破り捨てられるのかと話した夜。