きっかけはBIGLOBEの99%架空計上
KDDIの子会社であるBIGLOBEが、インターネット広告費を架空計上していたという問題が明らかになった。
驚くのはその内容で、なんと99%が架空だったという。
金額にして二千四百億円という話だ。
テレビCMであれば、百億円の広告費が実はほとんど架空だったとなれば「なぜCMが流れていないのか」とすぐに気づく。ところがインターネット広告の場合「どこかで表示されているんだろう」という感覚があり、検証が難しい。
アドブロッカーを使っている人も多いから、余計に実態が見えにくくなっている。
これはBIGLOBE一社の問題というより、インターネット広告というエコシステム全体が末期的な状態にあることの症状として読むべきだと思う。
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ネット広告はもはや「罰ゲーム」だ
皆さんもニュースサイトやまとめサイトを見るとき、広告のうざさに辟易した経験があるのではないだろうか。
ブラウザで見ているときはまだいい。
問題はスマートフォンだ。
コンテンツが広告に覆われて全く見えない、閉じるボタンがどこにあるかすらわからない、あの手この手の嫌がらせが続く——これはもはや広告ではなく「罰」だ。
この罰を受け続ければコンテンツを見ることができますよ、という構造になっている。
僕はスパムメールと同じレベルだと思っている。
スパムメールは20年以上「問題だ」と言われ続けながら一向に減らない。
今のネット広告も同じ道を辿っている。
ユーザーはフィルターをかけ(アドブロック)、それをすり抜けた広告だけが届くが、その広告もほぼ無視される。
かつてのCMは違った。
「日本の夏、金鳥の夏」「焼肉焼いても家焼くな」——話題になり、笑えて、記憶に残るものがあった。
コンテンツと広告の間に、ある種の文化的な関係があった。
今のネット広告にはそれがない。
ただのノイズだ。
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課金モデルへの大移行
こうした状況を受けて、メディア全体が「広告モデル」から「課金モデル」へと移行しつつある。
広告モデルとは、地上波テレビのようにコンテンツは無料で提供し、広告主から収益を得る仕組みだ。
課金モデルとは、NetflixやAmazonプライムビデオ、YouTube Premiumのように、ユーザーが直接お金を払ってコンテンツを楽しむ仕組みだ。
この移行の本質は何か。僕たちユーザーが、自分の「注意(アテンション)」に値段をつけ始めたということだと思う。
「俺たちの注意を引きたいなら、それなりのものを見せろ。そうでなければ金を払ってでも広告をブロックする」——これが今のユーザーの意思表示だ。
映画がなぜ無料ではないのかと怒る人がいないように、優れたコンテンツにお金を払うことは当然のことになっていく。
その結果、広告モデルに残るのは「無料なりのコンテンツ」になっていく。
これは避けられない二極化だと思う。
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子どもたちはどうなるのか
ただ、この課金モデルへの移行には大きな問題がある。
子どもたちのことだ。
大人は自分で稼いでいるから、見たいコンテンツに課金することができる。
しかしまだ働いていない20歳以下の子どもたちは、自分でサブスクリプション契約をすることがなかなかできない。
漫画でも同じ問題が起きている。
週間少年ジャンプは電子化に最も成功したモデルと言われているが、課金しなければ読めない。
僕が子どもの頃は、朝から晩まで本屋で立ち読みするような大らかな時代だった。
今はそういう場がない。
結果として、漫画自体を読まない子どもが増えている。
子どもの頃に様々なコンテンツに触れることは、感性を豊かにするうえで重要だと思う。
課金モデルが主流になったとき、自分で稼げない子どもたちは質の低い広告モデルのコンテンツしか接触できなくなるのか——これは社会全体で考えるべき問題だ。
何でもかんでも課金モデルにすればいいという話ではない。
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この問題にはもう一つ、大きな論点がある。それについてはまた次回お話ししたい。