味が薄いと思ったら...
少し前においしい炒飯を食べた。
食べながら、ちょっと味が薄いかな、と思った。
だがすぐに気がついた。
違う。
これは炒飯の味が薄いのではなく、薄いと感じている自分の感覚が変化しているのだ、と。
最近の炒飯は味が濃いものが多い。
そこに慣れてしまったせいで、昔ながらの味付けの炒飯を食べたときに、薄く感じてしまっていたのだと思う。
軸がずれていたのは炒飯ではなく、僕だった。
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炒飯はもともと、単品で完結する料理ではなかった
そもそも、炒飯とはどういう料理だったのか。
中国では、炒飯はおかずと合わせて食べるものだ。
ただ共通しているのは、炒飯はそれ単体でモリモリ食べるものではないという点だ。
他の食材と合わせて食べる、あくまでも脇役のひとつだ。
日本でもかつては、その流儀を引き継いでいた。
半チャンラーメンもそうで、ラーメンのスープを飲みながら炒飯を食べるというスタイルだった。
炒飯単独で完結させる料理ではなかったのだ。
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2001年の冷凍炒飯が、味付けを変えたんじゃないか
炒飯の味が濃くなった時期と理由について、AIにも聞きながら調べてみた。
一つの仮説として浮かび上がってきたのが、2001年にニチレイが発売した「本格炒め炒飯」の存在だ。
それ以前の冷凍炒飯は、炒めていない、中華風の混ぜご飯に近いものだった。
この商品が初めて「本当に炒める」という製法を業界に持ち込み、パラパラ感と香ばしさを実現した。
それが爆発的にヒットし、2025年まで24年間にわたって冷凍炒飯カテゴリーの売り上げ1位を走り続けている。
だが冷凍食品には、どうしても乗り越えられない壁がある。
実際の店で出てくる炒飯は、ご飯のプリッとした食感、ネギ油の風味、鍋振りの香ばしさでおいしさを補うことができる。
強い味付けがなくても、それだけで十分に旨い。
だが冷凍炒飯はレンジで温めるため、そういう微妙な風味がどうしても飛んでしまう。
だから必然的に、濃い味、はっきりした味で勝負するしかなくなる。
この商品が四半世紀にわたって市場を支配し続けたことで、炒飯の基準がじわじわとずれていったのではないか。
それが僕の仮説だ。
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町中華が消え、コロナが加速した
もうひとつの要因として、個人経営の老舗中国料理店——いわゆる「町中華」——の閉店ラッシュがある。
特にコロナの時期にそれが加速した。
それまでお客さんが来る限りは続けてきた店が、「そろそろ頃合いかな」とコロナを機に次々と畳んでいった。
薄い味付けの炒飯を作ってきた料理人が、絶対数として減っていく。
代わりに新しくできる店は、冷凍炒飯で育ってきた世代が担う。
その世代にとっての「普通の炒飯」は、それだけで食べても喉が渇くくらいの、濃い味の炒飯だ。
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カップ炒飯の登場が、料理の位置づけを変えた
セブンイレブンのカップ炒飯というものがある。
2018年に登場した商品だ。
もともとセブンでも袋入りの冷凍炒飯が売られていたが、それがお昼にオフィスで大量に消費されているという事実に気づいた人間がいた。
袋入りはオフィスで食べにくい。
そこでカップという形に変えて商品化したところ、既存の袋炒飯の2倍の勢いで売れたという。
これが意味しているのは、炒飯がおにぎりのような「単品で昼食を完結させる食べもの」になったということだ。
すでにコンビニでは、おにぎり型の炒飯も売られている。
他の料理やスープなどと一緒に食べるのが炒飯、という時代は終わりつつある。
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賃金が停滞し、冷凍食品が普及し、濃い味が基準になった
こうした変化の背景には、日本の実質賃金の停滞という事情もある。
1990年代後半から、日本の実質賃金はほぼ横ばいか下落を続けてきた。
多少上がってもインフレに追い越されてしまう。
僕が働き始めた頃からずっとそういう状況で、同世代の多くが同じ感覚を持っているだろう。
外食コストを削減するために、冷凍食品やコンビニ飯を活用する層がいた。
賃金の停滞が冷凍食品の普及を後押しし、その冷凍食品が濃い味の基準を作った。
この2段階の仕組みによって、炒飯の味は変わっていったのではないか。
きちんとしたデータがあるわけではない。
周辺情報から組み立てた仮説だ。
だが実際のところ、新しい店の炒飯はどこも味が濃い。
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あっさりした炒飯は、高級店にしか残らないかもしれない
濃い炒飯は、濃いなりにおいしい。
ニンニクがしっかり効いたのも、黒いほどに醤油色なのも、それはそれで旨い。
だがネギ油とごま油がふわっと立ちのぼり、炒めた時の香ばしさで食べさせる、強い味じゃないけれど旨いねと思わせるような炒飯。
そういうものは、これからは高級店に行かないと食べられなくなっていくんじゃないかと思っている。
広島市内に炒飯専門店があるが「味が薄い」という書き込みを見たことがある。
作っている人は、おそらく僕と同世代だろう。
昔ながらの、濃くなりすぎない炒飯を出したいという意図があるはずだ。
しかし今の客層に合わせようとすれば、濃くせざるを得ない局面があるのかもしれない。
料理は変化するものだ。
これまでも絶え間なく変わり続けてきた結果が、今の料理なのだから。
ただおっさんになってくると、あっさりした炒飯が食べたくなる。
そういうときには、高級店に行くしかないということなのかもしれない。