この暑さが、服の意味を変えていく
前回、広島市域の歴史の話をした。神代の時代、神武天皇が出てくるあたりからのスタートだったので、さすがに遠すぎると感じた方も多かったと思う。それでも思ったより反応がよく、続きを楽しみにしていると言ってくださる方が何人もいたので、この話は続けようと思っている。
あのとき言いたかったのは、安芸という言葉の始まりは、おそらく今の府中町のあたりだったのではないか、ということだった。府中町は広島市に合併すべきだという意見もあって、僕はすべきともすべきでないとも思わないけれど、安芸地方が歴史に登場する最初の場所がそこだった、という点は押さえておきたかった。この後、広島市域の中心は別の場所へ移っていく。その話はまた次回に。
今日は別の話をしたい。この暑さで、人の服装がずいぶん変わってきたな、という話だ。似たようなことは過去にも話しているが、以前は理屈として話していたものが、いまは現実のほうが先に動いている。
服装は、もともとメディアだった
ファッションはもともと、メディアの一種だった。自分という人間を知ってもらうための媒体である。
ヨーロッパの昔を思い浮かべればわかりやすい。かつらをかぶり、襞の重なった襟をつける。紫や黄色は特別な身分の者しか身につけられない。ああした細かいルールはすべて、その人が何者であるかを外側に表示するためのものだった。
名残は今も少しだけ残っている。格式のある店では、短パンにTシャツにサンダルはさすがに通らない。僕は一応守っている側の人間で、夏でもTシャツではなく襟付きのシャツを着る。
ワールドカップのフランス代表が襟付きのユニフォームだったのを見たときは、いかにもフランスだと思った。あれを着ていたのはフランスだけだった。ワールドカップの舞台ですら襟を立てる国の料理を食べに行くのだから、フランス料理店に襟付きで行くのは当然といえば当然である。
しかし、四十度のアスファルトの上で
とはいえ、である。
気温が三十五度、三十六度になると、アスファルトの上は照り返しで四十度近い。ファッションとは我慢するものだ、と昔から言われるけれど、その我慢には限界がある。体力のある若い人ならまだしも、年齢が上がってくると、涼しくて着心地のいいものを着ないと本当に危ない。
幸い、変化は起きている。クールビズでノーネクタイです、とわざわざ言わなくなった。ノーネクタイが普通で、ネクタイのほうが特別な日のものになった。女性はヒールをやめてスニーカーを履くようになり、最近はスラックスにワイシャツでも足元はスニーカーという男性が増えている。
スマートグラスが来れば、服は語らなくてよくなる
服装が担っていた「自分はこういう人間です」という機能は、すでにインターネットやSNSに移ってしまった。そしてもうすぐ、スマートグラスが本格的に普及する。
目の前の人が何者なのか、その場で表示されるようになる。どれだけ立派な格好をしていようが、していまいが、社会的な立ち位置は画面に出る。そうなれば服装で示す必要はない。服は快適さと機能性で選ばれるようになる。というより、機能性で選ばないと身が持たない。ワイシャツひとつとっても、見た目は従来どおりで中身は完全に機能素材、というものを着ている人がすでに増えている。
日傘は、おしゃれではなく体調管理
去年は試しに使う程度だった日傘を、今年はきちんと使うことにした。これがいい。
街でも日傘をさす男性が本当に増えた。もう違和感はない。帽子でもある程度は防げると思っていたが、日傘は頭だけでなく体全体が日陰に入る。涼しさがまるで違う。
モンベルが晴雨兼用の折りたたみを出していて、これが実によくできている。急な雨にも対応できるし、灼熱の下では日傘になる。重さは百三十グラム前後、ハンバーグ一個分もない。一本鞄に入れておくと、外出のたびに助かる。
日焼け対策でもおしゃれでもなく、無理をして体調を崩さないための道具である。
半ズボン論争そのものが、もう古い
半ズボンを解禁すべきかという議論があるけれど、僕はその議論の立て方自体がずれていると思う。したい人がすればいい。
誰かが許可してくれないとそちらに行けない、というノーネクタイのときのような構図は、抑圧の形そのものだ。もちろん考えるべきことはある。周りに不快感を与えないという点は重要で、脛毛をどうするか、全体のバランスをどう取るか、上に何を合わせるか。そのあたりは、これから整っていくのだろうと思う。
従来どおりの装いをしたい人は、そうすればいい。移動手段でなくなった今も乗馬をする人はいるし、スーパーカーに乗りたい人は乗る。全部、趣味の世界である。酒も煙草も同じで、人に迷惑をかけない範囲でやる分にはまったく構わない。服装もその位置に降りてきている。こうでなければならない、というのが抑圧なのだから、僕はこれをいい方向だと思っている。
それでも、冠婚葬祭には残る
ただし、服装がメディアである機能は完全には消えない。
スマートグラスが肩代わりしてくれるのは、その人が何者かという属性の表示であって、その人が何を思っているかという意志の表明ではない。属性は外から読み取れるが、意志は本人が選んで示すしかない。
結婚式には祝いの気持ちを示すための格好があり、葬式には悔やみの気持ちを表すための格好がある。あれこそまさに、服が意見を語っている状態だ。Tシャツに短パンで結婚式へ行ってもいいけれど、祝う気持ちは伝わりにくい。逆に、アロハを流儀どおり完璧に着ていくなら、あれはハワイの正装なのだから何の問題もない。
とにかく暑い。抑圧にとらわれて快適さを後回しにすると、本当に体を壊す。周りに不快感を与えないなら、それでいいのではないか。
皆様、ご安全に。