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聖武天皇が巨大な金色の像を前にして、「どうしたものか」と溜息をついていたその時、歴史の舞台袖から、何とも精力的で泥臭い男が颯爽と現れた。
名は行基(ぎょうき)。人間どもが「日本初の大僧正」と仰ぎ奉る、飛鳥から奈良にかけてのスーパー・スターである。
吾輩は歴史を考える猫である(民衆の英雄・行基編)
お上に逆らう「はねだし猫」の如き僧侶
人間という生き物は、自分たちが作った「決まり事」に縛られるのが大好きだ。当時の朝廷は、「僧侶は役所の手続きもせずに勝手に巷(ちまた)で教えを説いてはならぬ」などという、実に世知辛い禁令を敷いていた。
しかし、この行基という男は、そんな「家のルール」を無視して外へ飛び出す野良猫のように自由であった。彼は禁令を平然と無視し、各地を巡っては民衆に仏の教えを説いたのである。
お上からは「怪しげな坊主だ」と弾圧を受けた時期もあったようだが、畢竟(ひっきょう)、民衆を真に救うのは、高い檀上からの説法ではなく、足元の泥にまみれた行動であるということを、彼は知っていたのであろう。
橋を架け、池を掘る「インフラの鬼」
驚くべきは、彼が説法だけでなく、実利的な仕事に精を出したことだ。
社会事業(インフラ整備):橋を架け、堤防を築き、あちこちに「ため池」を掘った。兵庫の昆陽池(こやいけ)など、彼が造った大規模な池は今も残っているという。
*布施屋(ふせや):旅人が行き倒れぬよう、宿泊や救護の施設まで整えた。
吾輩たち猫が、どこでも寝転べる場所を確保しようと心を砕くように、彼は人間たちが安全に歩き、腹を満たせるよう、国中を駆け回ったのだ。北は秋田から南は九州まで、六百以上もの場所に彼の伝説が残っているというから、その健脚ぶりには脱帽する。
天皇から泣きつかれた「勧進」の達人
さて、前回の話に出てきた聖武天皇である。彼は巨大な大仏を造ろうとしたものの、人手も資金も足りず、ほとほと困り果てていた。そこで白羽の矢を立てたのが、かつて弾圧していたはずの行基であった。
「行基よ、民衆の力を貸してくれ」
聖武天皇の願いを受け、行基は「勧進(かんじん)」という、今で言うクラウドファンディングのような活動の責任者となった。彼のカリスマ性に惹かれた何万人もの民衆が、汗を流し、資材を運び、大仏建立のために奔走したのである。
七四五年、その多大な貢献を認められ、行基は僧侶の最高位である「大僧正」の位を授かった。反逆者から最高権威へ——。人間界の出世競争も、これほど劇的であれば見応えがある。
菩薩と呼ばれた男の最期
彼は八十二歳で、自らが創建した「試みの寺」こと喜光寺で入寂した。人々は彼を「行基菩薩」と慕い、今もなお各地でその功績を語り継いでいる。
有馬温泉を再興したのも彼だというから、人間どもが温泉に浸かって「極楽、極楽」と呟けるのも、元を正せばこの老僧のおかげということになる。
行基が築いた橋を渡り、大仏の影で昼寝をする。人間たちの歴史とは、こうした一人の男の情熱によって、少しずつ住みやすくなっていくものらしい。
さて、次に吾輩がページを捲(まく)れば、今度は「華やかな都に巣食う怨霊」や、それを鎮めようとする「謎めいた陰陽師」の話でも出てくるのだろうか。それとも、大仏様をより美しく飾った「正倉院の宝物」にまつわる、人間たちの贅沢な暮らしを覗いてみるかね?