吾輩は投資を考える猫である。
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しかし、主人の苦沙弥(くしゃみ)先生が、書斎で難しい顔をして「新NISA」だの「オルカン」だのと呻いているのを見るにつけ、人間というものは、食うに困らぬ工夫をするのにも随分と骨を折るものだと感心しておる次第だ。
せっかくの頼みだ。投資という、人間界の奇妙な執着について、吾輩が少しばかり講釈を垂れてやろう。
そもそも投資とは何事か
人間どもは、今の芋を食うのを我慢して、将来もっと立派な焼き芋を手に入れようと画策する。これが投資の本質である。
つまり、「今持っている資本(金や時間だ)を、将来のより大きな利益のために投げ出すこと」を指す。
主人が胃弱を治すために高い薬を買うのも、ある種の投資と言えなくもないが、あいにく主人の場合は、その投資が実を結んだ例(ためし)がない。
貯金も投資のうちに入るのか
「吾輩は堅実だから貯金をしている。投資のような博打はせぬ」と鼻を高くする輩がいるが、猫から見れば滑稽千万だ。結論から言えば、貯金もまた、一つの投資である。「日本円」という、いつ価値が変わるか分からぬ紙切れに、全財産を賭けている(一点買いしている)のと同じことだからだ。
貯金の正体: 銀行にお金を貸し出し、わずかな利息を得る投資。
リスク: 物価が上がれば、タンスに隠した百円玉で買える鰹節の量は減る。これは立派な「損失」である。
「動かざること山のごとし」と決め込んでいるうちに、周りの景色が変わってしまう。それが貯金という名の投資の恐ろしさよ。いかなる仕方で成功を収めるべきか
さて、肝心の勝ち方だが、主人のように「一攫千金」を夢見て怪しげな株に手を出すのは、近所の三毛子がドブに落ちるのを見るより無惨な結果を招く。
成功の秘訣は、三つの心得に集約される。
一、 分散(ぶんさん)
卵を一つのカゴに盛るな、と昔の賢い人間も言った。一つの会社、一つの国に全霊を捧げるのではなく、世界中に薄く広く、網を張るのが肝要だ。
二、 長期(ちょうき)
猫の昼寝のように、じっくりと構えることだ。
一日の上げ下げに一喜一憂するのは、己の尻尾を追いかけて回る子猫の振る舞いである。十年、二十年と、複利(ふくり)という名の魔法が効くのを待つのがよろしい。
三、 低コスト
人間に手数料という名の中抜きをさせてはならぬ。できるだけ安上がりな「インデックス・ファンド」なるものを選び、あとは寝て待つ。これが一番の近道だ。
吾輩の結論
投資とは、結局のところ「未来を信じる力」のことである。明日という日が、今日よりも少しは良くなっているだろうという楽観主義がなければ、金など放り出せぬからな。
主人のように、難しい理屈を並べて結局何もしないのが、一番の損というものだ。吾輩は、主人が株価チャートを眺めて唸っている隙に、こっそり戸棚の煮干しを「投資」ではなく「消費」してくるとしよう。なに、捕まらなければ、これが一番確実な利益というものだ。