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鑑真がもたらした厳格な戒律の平城京から、時代はさらに下って平安の都へと移る。吾輩が次に目にしたのは、きらびやかな御簾(みす)の奥で、美味いものをたらふく食い、この世のすべてを己の手中に収めたと豪語する、丸々と太った一人の男の姿である。
名は藤原道長。あの靴拾いから始まった藤原氏の栄華を、文字通り天の頂点へと導いた男だ。
吾輩は歴史を考える猫である 第12回(藤原道長編)
娘を「切り札」にする最強の猫じゃらし
人間という生き物は、血の繋がりというやつを妙に重んじる。この道長なる男は、己の権力を確固たるものにするため、実に見事な、しかし執念深い作戦を思いついた。自らの娘たちを、次から次へと天皇の后(きさき)として宮中へ送り込んだのである。
長女の彰子(しょうし)を一条天皇の中宮とし、二女の妍子(けんし)を三条天皇へ嫁がせ、挙句の果てには四人の娘を駆使して、生まれた幼き皇子を次の天皇に据えてしまった。
* 外祖父(がいそふ)という立場:天皇の「母方のじいさん」という立場から政治の実権を握る。これぞ人間どもが恐れおののいた「摂関政治」の極みである。
* 一家立三后(いっかりつさんごう):同僚の藤原実資(さねすけ)なる男が、日記『小右記(おうき)』に「未曽有なり!」と驚嘆の声を書き残している。三代の皇后をすべて自分の娘で占めるなど、前代未聞の離れ業というわけだ。
かつて藤原家のトップの座を巡って、藤原伊周(これちか)という男と激しく縄張り争いを演じていた頃の必死さはどこへやら、気づけば彼は誰も逆らえぬ絶対的なボス猫になっていた。
満月を眺めて詠む、傲慢の歌
寛仁二年十月十六日の夜、道長は夜空に浮かぶ満月を見上げながら、一杯機嫌で次のような歌を詠んだ。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
「この世はすべて吾輩のものだ。あの満月がどこも欠けていないように、吾輩の権力にも何一つ足りないものはない」——。
何とも鼻持ちならない傲慢さであるが、それだけの贅沢を尽くしていたのだから仕方がない。ちなみに彼が正式な妻としたのは、倫子(りんし)と明子(めいし)という二人のお嬢様であった。これだけの女たちに囲まれ、栄華の極みにいた道長であるが、満月がいつか欠けるように、彼の人生にもやがて影が忍び寄る。
贅沢の代償と、欠けゆく満月
美味いものを食い過ぎたバチが当たったのか、晩年の道長は「糖尿病」という現代で言う贅沢病にひどく苦しめられた。その凄惨な病状は、彼自身が書いた日記『御堂関白記(みどうかんぱき)』や、実資の『小右記』に生々しく記録されている。
目が見えなくなり、喉の渇きに苦しむ道長をさらに追い詰めたのは、愛する息子や娘たちが自分より先に次々と世を去っていくという、身を切るような悲劇であった。いくら「我が世」と威張ってみたところで、病と死神だけは、天皇のじいさんの言うことなど聞いてはくれぬ。
万寿四年(一〇二七年)、彼は六十二歳でこの世を去った(薨逝)。
しかし、彼の執念は死後もなお生き続けた。彰子が産んだ後朱雀天皇、そして六女の嬉子が産んだ後冷泉天皇が相次いで即位し、結果として彼は三代の天皇の「外祖父」として歴史にその名を不滅のものにしたのである。
なお、彼が自ら筆を執った『御堂関白記』は、我が国の国宝に指定されているばかりか、ユネスコの「世界記憶遺産」とやらに登録されたそうだ。人間どもは、一千年前の男の病気の日記を世界の宝としてありがたがっているのだから、誠に妙な生き物である。
どんなに栄華を極めた満月も、最後は病と孤独の中で欠けていく。人間の一生とは、つくづく儚く、そして欲深いものである。
さて、次に吾輩がページを捲れば、今度は「この藤原氏の優雅な貴族政治を、刀一本でぶち壊しにやってくる武士たち(平清盛や源頼朝)」の足音が聞こえてくるはずだ。それとも、道長が強引に宮中へ送り込んだ娘・彰子の身の回りで、『源氏物語』などを執筆していた雅な女房たち(紫式部など)の華やかなお喋りでも覗いてみるかね?