今回は、ある投稿をきっかけに、「美談がイデオロギーに変わる瞬間」について考えてみました。
不治の病で亡くなる直前の人が語った言葉そのものは、とても重く、尊いものだったと思います。
ただ、その個人の人生の言葉を使って、「だから人はこう生きるべきだ」と一般論に広げてしまうことに、強い違和感を覚えました。
個人の“物語”と他者への“行動原理への介入”。
この二つは本来、きちんと分けて考えるべきではないか。
さらに補足として出てきた「自分以外の誰かのために生きた人だけが死を超えられる」という考え方についても、深い部分と危うい部分を分けて整理しています。
人は、自分を超えた何かとのつながりを感じることで、死の恐怖がやわらぐことがある。
この主張には概ね理解できます。
ただ、それをそのまま「自分のために生きる人は浅い」といった断罪にまで踏み込むと、一気にきつい思想になってしまう。そのあたりを言語化してみました。
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