「ないこと」を感じるということはありませんか? 今年になって、私はたまたまマーラーの三つの演奏会を聴く機会に恵まれました。一つはファビオ・ルイージ&N響の交響曲第3番。二つ目はタルモ・ペルトコスキ&N響の交響曲第1番。そして、先週の日曜日にセイジオザワ・松本フェスティバルでのクリストフ・エッシェンバッハ指揮&サイトウ・キネン・オーケストラの交響曲第2番。これらのコンサート経験で、私は「ないこと」を強く実感しました。その実感を、野矢茂樹『心という難問』において提起された「不在」の「相貌的知覚」という概念を元に考えてみたいと思います。(竹内)
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