はじめに──「お金の使い道がなくなってきている」というポスト
Xで「お金の使い道がなくなってきている」というポストを見かけた。
これがなかなかの反響で、インプレッションは1,000万超。相当読まれている。
このポストが指摘しているのは、単なる節約論ではない。
「お金があっても、体験の差がつきにくい時代になった」という感覚だ。
https://x.com/gatigatitv/status/2018271357159838100
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スマホも車も、もう差がつかない
たとえばスマホ。
どんなに最高級のiPhoneを買っても、アメリカ大統領が使っているiPhoneと、僕が使っているiPhoneの本質的な違いはほとんどない。
バージョンは違っても、できることはだいたい同じだ。
車も同様。
「安全に目的地まで移動する」という目的だけを考えれば、僕が乗っている軽四で何の問題もない。
日本で普通に働いていれば、中古車を含めて車が買えないという状況は、少なくとも珍しい。
映画もそうだ。
100万円払わないと観られない名作映画など存在しない。
今やNetflixやAmazon Primeがあれば、名作は等しく観られる。
つまり、お金の多寡によって、経験の質が劇的に変わる場面が減ってきているのである。
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高級料理は「情報」を食べているのか
このポストで面白かったのは、食事の話だ。
5万円のミシュラン三つ星の和食に行ったけれど、薄味で大して美味しくなかった。
高級料理とは、「〇〇産」「今日獲れた」「何時間熟成」といったストーリーを聞くためにお金を払っているのではないか──そんな皮肉が書かれていた。
これは意地悪な言い方ではあるが、一部は本質を突いている。
ワインの話も同じだ。
10万円のワインと1万円のワインに、10倍の価値の差があるかと言われれば、そんなことはない。
ワインは開けてからの時間、変化の過程、温度、文脈など、評価軸が多い飲み物だ。
それを無視してにビールのように「ポンと開けてグビグビ飲む」なら、違いが分からなくても不思議ではない。
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限界効用低減という、経済学的な視点
ここで思い出されるのが、経済学でいう限界効用低減の法則である。
一単位あたりの満足度は、消費を重ねるほど下がっていく、という考え方だ。
このポストの書き手は、「すべてがコモディティ化した現代で、なぜお金が必要なのか」という問いを立て、最終的にこう結論づけている。
お金は自由を買うために使うのが、いちばん価値が高い。
これはこれで、一つの真実だと思う。
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僕は高いものを、あまり必要としていない
ただし、これはあくまで一つの切り取り方だ。
僕自身の話をすれば、高い車はいらないし、ドレッシーな服も必要ない。
住まいも今の賃貸で十分だ。
自分で買って食べる食材も、普段は決して高いものではない。
Xを見ている人は知っていると思うが、僕は「高いから買う」ことはほとんどしない。
買うのは、この値段でこの内容は素晴らしいと思えるものだけだ。
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価値に気づかれていないものは、安い
多くの人がその価値に気づいていないものは、たいてい安い。
そして、そういうものこそ、僕は紹介する意味があると思っている。
最近よくポストしている「チヌ(黒鯛)」がまさにそうだ。
今、驚くほど美味しい。
それなのに「えー?チヌでしょ?」という扱いをされて、値段は安い。
市場価値(値段)とは、旨いか旨くないかではなく、多くの買い手の認識で決まる。
ここに、お金の面白さがある。
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お金は「応援できるツール」である
ここからが、僕の視点だ。
僕にとってお金とは、誰かを応援できるツールである。
お金がなければ、応援したくてもできない。
お金があれば、いろんな人を応援できる。
ロールス・ロイスが好きなら、買うことで応援する。
レストランが好きなら、通うことで応援する。
魚屋が頑張っていると思えば、そこで魚を買う。
僕の場合は、さらに「ここは美味しいですよ」と発信することで、応援の幅が広がる。
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お金は「投票権」に似ている
お金は、ある意味で投票権のようなものだ。
政治の選挙では一人一票だが、お金を多く持っている人は、それだけ多くの「票」を持っている。
コンビニでお金を使えば、コンビニを応援していることになる。
チェーン店やフランチャイズは、規模の経済という意味で本当にすごい。
ただ、僕が応援したいのはそこではない。
僕が応援したいのは、広島で頑張っている個人の飲食店であり、飲食店という文化そのものだ。
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推し活としてのお金
僕は決してお金持ちではない。
高級店に頻繁に行けるわけでもない。
それでも、他にあまりお金を使わない分「食べること」には比較的お金を使っている。
これは僕にとって、推し活なのだ。
お金をたくさん持っているということは、
自らの価値観に基づいて、様々な推し活ができるツールを持っている、ということでもある。
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おわりに──自由の先に、何を残すのか
お金は抽象的な概念だ。
紙幣という形も取るが、本質的にはただの数字であり「変換可能性」にこそ価値がある。
自由を買うこともできる。
だが、自由を得たあとに何をするのか、という問いが必ず残る。
誰かを応援する。
残ってほしいものを、続いてほしいものを支える。
僕はそこに、お金を介した、人間的な関係があると思っている。