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207-弘仁貞観文化①最澄空海と円仁円珍

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楽しい文化史第7回、弘仁貞観文化その①です ** この配信は毎週月・金に決めようと思います ** さて、平安初期文化と言えば、最澄と空海 この二人は同じ遣唐使船で渡航しましたが、色々と違います まず年齢が7歳も違います。最澄のほうが7つ年上です。 最澄は近江の出身で、正式に僧となった後に比叡山で修行します これが後に延暦寺になります その活躍を知った桓武天皇が、新しい仏教をもたらすことに期待して、 唐に派遣されました。当時37歳。 翌年には帰国し、天台宗をもたらします。つまり渡唐前から桓武の期待と保護があった。 対して空海は讃岐の出身。渡航時には最澄ほど期待されていたわけではなく、 唐で2年間学んで真言宗を持ち帰ります。すでに桓武は亡くなっており、 空海を保護したのは嵯峨天皇です 空海は嵯峨天皇から東寺を与えられます。 東寺の正式名は「教王護国寺」ですから「護国」です 延暦寺も、その位置は京都の西北、鬼門なので、それを封じる役割も期待されました 空海と嵯峨天皇は、字が上手であるとして「三筆」に数えられますが、 もう一人が橘逸勢ですね さて密教と言えば加持祈祷です。 ある種の呪術で、国家にも個人にも効果があるようで、 貴族個人の病気平癒などなどに使われるようになる 密教の秘密っぽさと貴族つまり世俗との結びつきは、 矛盾するような気もします 最初から密教色が強かった真言宗はともかく、 天台宗はこれが分裂を起こします 円仁派の山門派と円珍派の寺門派というけど、円仁と円珍が直接に対立したわけではなく そもそも円仁は最澄の弟子、円珍は最澄の弟子の義真の弟子で、世代が違う 天台宗の密教色が強まる中で、貴族のニーズに応じるべきか否かの対立が大きくなり、 後に円仁が前者、円珍が後者の祖とされた 両者の対立が延暦寺内で暴力的になり、円珍派が延暦寺を追われたのは10世紀の終わり 近江の園城寺は円珍が復興して、天台宗第二の寺院になっていた 寺院や仏像については、次回に #日本史 #弘仁・貞観文化
6日前
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