楽しい文化史第8回、弘仁貞観文化その②です
前回、三筆の話でも出てきた嵯峨天皇ですが、
彼の唐風趣味が平安初期文化の特徴です
(次が国風文化ですから余計に)
文章経国思想が押し出され、勅撰漢詩集が作られる、
宮門の名前が、たとえば大伴門→応天門になるわけです
ついでに言うと、これは伝説(今昔)ですが、「弘法も筆の誤り」のエピソードが、
空海が応天門の「応」の字を書いた時という設定なのも、合致して面白いです
まあ、応天門の変で焼けてしまいましたが。
仏像ですが、木像が主流になります
榧(カヤ)の木の一木造です
仏像はインドでは白檀で作るものとされていたようです
香木で非常に貴重で、かつ日本では入手できない
代替するもとして、カヤが使われました。
日本でも入手できる香木で、見た目も似ているらしいです
こういったことを、鑑真が伝えたと言われています
貴重な木ですが、漆や銅よりは仏像が作りやすくなった
あと、表面の衣紋を深くリズミカルに彫り込む、
翻波式というものが流行しました
1本の木から仏像が現れるって、神秘的で密教に合ってる気もします
平安初期の仏像はいろいろなお寺に残されていますが、
集中しているのは室生寺です
この時代の建築はあまり現存していないんです
室生寺の金堂や五重塔が知られています
五重塔は法隆寺の次に古い現存五重塔です
1998年の台風で被害を受けましたが修復されました
高さ16mしかない、美しくも可愛い塔です
ちなみに東寺56m,法隆寺32mです
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