沖縄やんばるリトリートを主催して、気づいたことを話しています。
<ダイジェスト>
◆どんな2日目をすごしたのか?
◆夕方、夏至点の海
◆思わず口から出た「遊びきった」
◆遊ぶという言葉が苦手だった
◆目的と手段がわかれていないこと
<概要>
【目的と手段を分けない】
沖縄やんばるリトリートで、
自分の中の「遊ぶ」という言葉が、
少し変わった気がしている。
これまでの僕にとって、
「遊ぶ」は少し遠い言葉だった。
小2の頃から、
家計を支えるために新聞配達をしたり、
中卒で単身上京して、
働きながら通信制高校に通ったり。
そんな時間を過ごしてきたこともあって、
「生きる」
「学ぶ」
「働く」
そういうものを優先して、
遊ぶのは、そのあとに余裕があればするもの。
どこかそんな位置づけだった。
今回のリトリートでは、
夏至の日の夕方、海へ向かった。
波に身を任せて浮かぶ人。
貝殻を拾い続ける人。
それぞれが、
ただしたいことをしている。
気づけば2時間以上、
夢中になって遊んでいた。
その日の終わりに、
思わず口から出た。
「今日は遊びきった。」
自分でも少し驚いた。
遊ぶことに、
何かを得ようとしているわけでもない。
誰かに貢献しているようにも見えない。
……いや、
本当はどこかで貢献してしまうのだけれど。
でも、
あの時間には、
とても純度の高い何かがあった。
普段、子どもたちの日常を見ていると、
遊ぶことと、生きることと、学ぶことが、
ぜんぜん、分かれていない。
むしろ、
一つのものなのかもしれない。
そんな感覚が、
少しずつ自分の中に戻ってきている。
最近、
「目的」と「手段」が
分かれていない世界に惹かれている。
何かのためにやるのではなく、
そのことに没頭する。
目的と手段が分かれていない時間。
やること自体が目的。
そんな時間の中にこそ、
生きる豊かさがあるのかもしれない。
まだうまく言葉にはできないけれど、
今の自分が大切にしたい感覚として、
残しておきたくなった。
<Information>
リトリートで体感した、目的と手段が分かれていない時間。
「遊び心」をエッセンスにして場を開きます。
👇️7月5日(日)ラブマイセルフ対話&瞑想会
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