今日はAmazonプライムビデオで観た映画『12人の優しい日本人』(監督:三谷幸喜)について話したいと思う。
この作品の元ネタは1954年のアメリカ映画『12人の怒れる男』。
ヘンリー・フォンダ主演の名作で、僕は小学生の頃に観て感動し、今でもDVDを持ってる。
内容は、陪審制度を題材にした密室劇。
黒人少年が父親殺しで裁かれ、その有罪・無罪を12人の陪審員が議論するのだが、最初は11対1で有罪。
ただ1人、ヘンリー・フォンダ演じる陪審員8番が「ちょっと待てよ」と言い出すことで物語が動く。
そして議論を通して、徐々に「思い込み」が崩れてゆく。
ひとりの“疑問を持つ勇気”が、集団の判断を変えていくんだよね。
---
差別の残るアメリカ社会
この映画が作られた1954年は、奴隷制度はとっくに廃止されているものの、黒人差別は法律レベルで根強く残っていた時代。
バス、トイレ、レストラン——すべて白人と黒人は分離。
“法的には人だが、社会的にはそう扱われていない”空気が充満していた。
そんな社会だからこそ、有罪ありきの判断が簡単に行われる。
その空気の中で、陪審員8番だけが「正義」を手放さない。
アメリカという国の根本にある「自分の信念のためには議論と対立を恐れない」という精神が、あの1本の映画にギュッと詰まっているのだ。
---
チャーチ型とセクト型:アメリカの“個”が作る政治
COTENラジオというポッドキャストで現在、アメリカ社会の理解に欠かせない「チャーチ/セクト」という考え方が紹介されている。
- チャーチ(教会)型:大勢で調和、空気を読む。日本人はこちらが近い
- セクト(宗派)型:少人数でも信念を優先。議論をためらわない
アメリカは後者が圧倒的に強い国。
だからこそ陪審制度が機能し、だからこそトランプのような人物も力を持ち得る。
逆に、日本人にはオバマのほうが理解しやすい。
---
そして『12人の優しい日本人』へ
三谷版「12人の優しい日本人」は、そんなアメリカ的“信念の衝突”を日本人がやるとどうなるのか?という喜劇。
日本では個より調和が優先される。
場の空気が強い。
多数に逆らうことは「わがまま」とされがち。
だからこそ、「陪審制度は本当に日本に馴染むのか?」という問いが浮かび上がる。
笑いながら観ていたはずなのに、どこかザラッとした感覚が残る。
---
最後に
『12人の怒れる男』を観て、アメリカ社会の“個を貫く強さ”に胸を打たれた子どもの頃の自分。
『12人の優しい日本人』を観て、日本社会の“調和の力”とその弱さに向き合う今の自分。
両方を観ることで見える景色がある。
そんな映画体験だった。
ぜひ2本セットで観てほしい。
きっとあなたの中でも、何かが揺れるはず。