オイスターカップ2025in広島での再会
先日、広島県内の牡蠣養殖業者のコンテスト「オイスターカップ2025in広島」の決勝審査員を務めた。
その会場で、県職員時代に市町職員と合同で行った研修で同じチームだった人物と再会した。
忘れていたが、声をかけられて思い出した。
彼は今、地域の議員になっていた。
地域の主産業は牡蠣養殖で、現在その産地は深刻な危機にある。
当然、地域の議員なら、当事者意識を持って課題に向き合っているべきだ。
しかし返ってきた言葉は、こうだった。
「まあ、自然のことだからね。いろいろ調べても結局わかんないよね。」
その瞬間、胸の奥で何かが切れた。
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当事者意識とは何か
当事者意識とは、協力者がいようがいまいが「これは俺の問題だ」と覚悟することである。
誰もやらなくても、たとえ一人でも動く。
「自分がやらなければ誰もやらない」
その姿勢が当事者だ。
議員ならその覚悟が必要だ。
現場の牡蠣養殖業者は、日々の作業と資金繰りでギリギリだ。
余裕なんてひとかけらもない。
それでも必死に踏ん張っている。
その中で、誰が動くのか。
動くべきは政治の側だ。
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現状分析はすべての仕事の9割
どんな仕事でも、最初に必要なのは 現状分析 である。
現状が正確に把握できなければ、正しい打ち手など生まれるはずがない。
当てずっぽうの施策が当たることがあってもそれは偶然だ。
「現場・現実・現物」この三つを見ずして打てる手は無い。
だからこそ、足を運び、自分の目で見て、情報を集め、状況を把握する。
ここに9割がかかっていると言っていい。
最初から諦める者に、未来をつくる資格はない。
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変わらない人間の話
正直なところ、その議員は研修時代から、仕事をせずに酒ばかり飲んでいるタイプだった。
その間、僕は一人で黙々と作業を進めていた。
十数年経っても、変わっていなかった。
腹の奥底では思った。
「何やってんだ、あんた。仕事しろよ。議員だろ。」
声には出さなかった。
けれど、本心ではそう叫んでいた。
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最後に──未来は、当事者の手によってしか開かれない
「自然だから仕方ない」
「結局わからない」
そう言って最初から投げる者のもとでは、地域は滅びる。
問題の本質は、自然現象でも危機でもない。
覚悟の欠如だ。
自分の問題として引き受ける者だけが、道を切り開く。
社会を動かすのは、いつだって当事者側の人間だ。
投げ出す者ではない。