今日は「チャーハン」について少し考えてみたいと思う。
---
チャーハンという料理の難しさ
街には、ラーメン店の半チャンセット、中華料理店、そして最近はチャーハン専門店も並ぶ。
しかし、今のチャーハンは非常に難しい料理になってしまったのではないか――そう感じている。
理由は単純で、冷凍チャーハンの存在である。
コンビニやスーパーで売られているあの冷凍チャーハンは、本当に美味しい。
ただし、どれも味が濃い。その濃さに多くの店のチャーハンが引きずられているのではないか、と考えている。
---
本来のチャーハンは素朴だった
本来、チャーハンとは 卵とネギと油、そんな世界の料理である。
言ってしまえば卵かけご飯の加熱バージョンだ。
旨味の総量は非常に少ない。
だからこそ、多くの店では旨味調味料に頼らざるを得ない。
昔は、ここまで強く使っていなかったはずだ。
だが現在は、冷凍食品由来の「旨味の濃い世界」に引っ張られている。
この変化はチャーハンに限った話ではない。
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ、お茶漬けも同じ構造を持つ。
もとは素材の淡い味で成立していたが、「素」や加工食品の登場で濃い味が標準化した。
---
バカ舌/賢い舌の話ではない
旨味調味料が好きな人を否定したいわけではない。
濃い味が好きでも何の問題もない。
言いたいのはただ一つ――
濃い味しか理解できないよりも、淡い味と両方楽しめた方が人生は豊かである。
味覚の優劣の話ではなく、楽しみの幅の話なのだ。
---
人類は濃い味に惹かれるようにできている
塩・脂・旨味に脳が喜ぶのは仕組みとして当然だ。
人類の歴史の99%は飢餓であり、カロリーと旨味を求める体質は本能的だ。
しかし、濃い味一辺倒は健康を害する可能性がある。
食事とは本来、体を維持するための行為であり、脳を喜ばせるだけの娯楽ではないはずだ。
---
淡い味の世界の楽しさ
だからこそ、時々は旨味を足さない世界を味わってみると良い。
強い味 → 強い味 → 強い味、と進むだけではなく、淡い味に身を委ねる余白を持つこと。
たとえば大根おろしのように。
素材そのものの淡い香り、瑞々しさ、清涼感。
そこには、濃い味にはない豊かさがある。
---
結論
チャーハンの話をしたかったのは、結局
淡い味と濃い味、どちらも理解すると人生はより幸せになる。
ということだ。
濃さだけを追う世界は、豊かさを削る。
淡さの魅力こそ、もう一度思い出すべきではないか。