2025年6月、Reading Notte『朗読夜会第十夜』の演目の一つだった「なめとこ山の熊」を読みました。公演ではカット版でしたが、録音は原文通りそのままで読んでいます。
物語には熊捕りの名人・淵沢小十郎と、殺される側にもかかわらず「小十郎をすき」な熊たちとの関係が描かれています。
メルヘンの世界とはいえ、人間と熊がこの物語のように「生あるもの同士」として通じ合えればよいのに…と思います。
この物語には印象的な表現と場面がたくさんあります。
・なめとこ山の様子や小十郎の人物像
・殺した熊を裂いて処理する仕事と辛い気持ち
・母子の熊が月光を浴びながら話している神々しいまでの様子
・小十郎が町の荒物屋へ熊の皮と胆(きも)を売りに行く惨めさ
・「二年待ってくれたらお前の家の前でちゃんと死んでおいてやる。」と約束した熊
・年老いた小十郎が初めて熊捕りを躊躇する朝
・環になった熊たちがひれ伏す小十郎の最期…
ときに残酷で、ときに美しい表現が心に残ります。
この物語には「私(僕)」という語り手がいます。たぶん作者の賢治自身だろうと思います。
・「ほんとうはなめとこ山も熊の胆(い)も私は自分で見たのではない。」
・「僕は…あんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。」
・「それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。」
原文はこちら。↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1939_18755.html
サムネイルの写真は公演時のもの。
小十郎が死ぬときの「ちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。」を照明で表した場面。
Photo:石井清一郎 照明:平川忠彦
#朗読 #宮沢賢治 #なめとこ山の熊