今日は映画とか、小説とか、音楽とか、そういう様々な芸術作品についての話をしてみたい。
それらの作品を前にしたとき、作り手の思いを、私たちはどこまで汲むべきなのか。
この話は料理にも通じる話だと思っている。
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オペラという、あまり馴染みのない世界
今日、アステールプラザで上演された「てかがみ」というオペラを観に行ってきた。
友人の山岸玲音さんが出演されるので、せっかくならと足を運んだ。
正直に言えば、オペラは僕にとって馴染みが薄い。
歌うように喋る。喋るように歌う。
ミュージカルに近いとも言えるが、やはり独特のお約束事がある。
舞台は基本的に変わらない。
その限られた空間の中で、音楽、効果音、セリフ、演技によって、観る側に風景を想像させる。
その技術と集中力には、素直に「すごい」と感じた。
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観客層が語る、芸術との距離感
客席を見渡すと、観客の大半は女性で、年齢層も比較的高めだった。
オペラという文化が、どの層に強く根付いているのかが、なんとなく見えてくる。
一般論ではあるが、芸術的なものへの感性は、男性より女性の方が広がりを持っているように思う。
料理においても、その傾向を感じることが多い。
オペラもまた、そういう文脈の中にあるのかもしれない。
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子どもたちが、すでに「オペラ」をやっていた
印象的だったのは、児童合唱の存在である。
彼らの立ち居振る舞いは、驚くほど「オペラ的」だった。
仕草、間、表情。
それらを「型」として理解し、身体に落とし込んでいる。
きっと彼らは、オペラが好きなのだろう。
好きだから、自然と身についている。
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人は、役を変えると別人になる
出演者は20数名ほどだったと思う。
全員が一定以上のクオリティを保っており、役が変わると、同じ人間とは思えないほど印象が変わる。
衣装と演技だけで、ここまで人は変わるのか。
最後まで「本当に同じ人なのか」と混乱するほどだった。
それだけ、オペラの世界に没入しているということなのだろう。
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作品のメッセージと、私が受け取ったもの
「てかがみ」という作品が何を伝えようとしているのか。
それは、きちんと伝わったし、素晴らしいメッセージだと思った。
だが僕が強く感じたのは、そこではなかった。
自分がやりたいことを、ただ一生懸命やっていること。
それ自体の美しさだ。
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料理が好きなのと、同じだった
僕が外食や料理を好きで紹介しているのは、誰かに頼まれたからではない。
1996年頃から、ただ好きで続けてきただけだ。
料理というのは、普通の人々が生活の中で知恵を絞り、工夫し、歴史と文化を紡いできた結果だ。
そこに僕は、力強い美しさを感じる。
今日オペラに立っていた人たちも、それと同じなのだと思った。
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理解よりも、「どう感じたか」
作品を観るとき、作り手の意図や背景を重視する人は多い。
それは正しい楽しみ方だと思う。
ただ僕は、自分がどう感じたかを大切にする。
音楽は、聴くときの自分の状態によって、まったく違って響く。
思春期に聴いた曲が、ずっと残り続けるのも、同じ理由だろう。
作品は、ある地点で作り手の手を離れ、受け取る側の人生と交わり始める。
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広島にある、小さくて確かなエコシステム
今日は満員御礼だった。
当日券はなく、会場はしっかりと埋まっていた。
オペラを本気でやっている人たちがいて、それを観に来る人たちが、ちゃんと広島にいる。
大きくはないが、確かな循環がそこにある。
それは、とても美しい構図だと思う。
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好きでやり続けるということ
自分が好きでたまらないから続けている人。
それを応援する人。
この関係性そのものが、もうアートなのではないか。
一生懸命になれるものがある人生は、それ自体が美しい。
今日のオペラは、そんな当たり前で、でも忘れがちなことを思い出させてくれた。