いろり山賊の夜に思ったこと
今日は、ついに「いろり山賊」に行ってきた。
以前、ジェネリックな山賊焼きを食べて、正直よくわからない、という話をした。
それを聞いて、Twitterで知り合った友人からこう言われたのである。
あれは一回行ってみなきゃダメです
自分でも言ったばかりだ。
リアルを知らずに語るのは違う、と。
現場・現物・現実。三原主義そのものである。
確かに行かなければダメだと思った。
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◆ 夜に行くべき場所という衝撃
昼のイメージでいたが、彼は言う。
いや、夜がいいんです。
あそこはエンターテインメントなんで。
たしかに着いてみると、真っ暗な峠に突然現れるライトアップされた巨大な装飾。
季節外れの鯉のぼり、城のような建物、巨大な看板。
遊園地のような異世界感。
なるほど、これは夜でこそ映える。
駐車場は満杯、30分ほど並んだ。
支払い後、自分で席を探す方式で、店内は空いているのにみんな外でこたつ。
寒い夜にこたつ。
なるほど、これも体験の一部なのだ。
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本物の山賊焼きと向き合う
頼んだのは山賊焼き、山賊むすび、餃子、漬物、そしてビールを一杯。
山賊焼きは、これまで食べた中で一番美味しかった。
皿に落ちたタレ、一味唐辛子、炭火の香り。
そして串と肉の密着具合。
蒸して後から串を刺した肉ではない。
生から刺し、遠火でじっくり時間をかけて焼いた肉だった。
胸肉側を食べたが、炭の香ばしさが全体に行き渡り、甘味がすっきりして悪くない。
炭火焼きというのが重要なのだろう。
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山賊むすびの存在感
山賊むすびは800円。
しかし海苔も悪くない、具材も悪くない。
さらに漬物の盛合せが本物の糠漬けだった。
たくわんは甘味が使われていたが、しっかり干してあるので悪くない。
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本物に触れることの意味
帰り道、考えた。
ジェネリックをいくら語っても、本物を知らなければ言葉は薄い。
便利さや効率の中で、私たちは「現場を省略する癖」を身につけている。
だが省略は、理解ではない。
寒さ、煙、ライトアップ、混雑、こたつ、炭火の匂い。
そのすべてを身体ごと受け取り、ようやく「山賊焼き」を語る資格が生まれる。
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終わりに
いろり山賊は、単なる飲食店ではなかった。
あれは 「非日常を食べる場所」 である。
そして本物を知るという行為は、何歳になっても人生を豊かにする。
やっと僕は広島市民になれたのかもしれない。