いい店なのに、なぜ引っかかるのか
はじめに断っておくが、今日訪れた店は「悪い店」ではない。
むしろ、値段と内容だけを見れば、かなり頑張っている店だ。
広島市内で勢いのある飲食店グループからスピンアウトした方が始めた店。
店頭のメニューを見る限り、「この価格でこれを出すのか」と思わせる内容だった。
情報もほとんど出回っていない開店直後のタイミング。
だからこそ、先入観なしで行ってみた。
結論から言うと、料理自体は決して悪くなかった。
ただし、「この内容ではお客は定着しないだろうな」という感覚が、食後にはっきり残った。
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品数の多さが、満足感につながらない理由
この日の料理は、ご飯と汁物を除いておかずが9品。
量としては十分すぎるほどで、写真に撮れば間違いなく豪華に見える。
しかし、そこに「主役」がなく、決定的な欠落があった。
熱々の料理が、ほとんど存在しなかったのだ。
寒い日だったにもかかわらず、温かいのは汁物だけ。
それ以外は冷たいか、温いか、そのどちらかだった。
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氷水と熱々料理の関係
店では氷水が出された。
それ自体は悪くないし、僕は普段、好んで氷水を飲む。
だが、氷水が本領を発揮するのは暑い夏か、料理が熱々なときである。
熱い料理を頬張り、口の中にたまった熱を水で冷やす。
このリズムがあるから、熱々の料理が食べやすく、おいしく感じる。
逆に、冷たい料理が中心なら、温かいお茶(ほうじ茶でも麦茶でも)が欲しくなる。
このあたりの組み合わせは体験価値の話だ。
そしてこの店は、その体験設計がほとんど考えられていなかった。
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コストパフォーマンスと体験価値は別物である
使っている食材は良い。
原価的には、かなり高いコストパフォーマンスだと思う。
しかし、コスパが良いことと、満足感が高いことは一致しない。
この値段でこの内容ならお得でしょう?という発想は、写真や数字の上では成立する。
だが、食事は体験である。
温度、タイミング、リズム、季節感。
それらが噛み合って初めて「満足した」と感じる。
見た目は豪華。
だが、食べ終わると妙に物足りない。
そのズレが、はっきりと存在していた。
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女性客のほうが、この違和感に敏感だ
これはあくまで経験則だが、体験価値への感度は、女性のほうが圧倒的に高いと感じている。
「いい食材を使っているからお得」「品数が多いから満足」そういった理屈よりも、食べている時間そのものが心地よかったかを、正確に見ている。
この店も、「この値段でこれだけ出しているのに、なぜ満たされないのか」という感覚は、きっと多くの女性客が共有するだろう。
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自己実現の料理と、客の満足感
店を始めたばかりの高揚感。
それはよくわかる。
これだけのものを、この値段で出しているという誇りも理解できる。
だが、店は自己実現の場である前に、客の満足感を生み出す場でなければならない。
今日の料理は、「ほら、すごいでしょう?」という自己実現の匂いが強かった。
しかし、客が求めているのは、そこではない。
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続く店であってほしいという、客のわがまま
赤字で出してほしいわけではない。
無理をしてほしいわけでもない。
むしろ逆だ。
ちゃんと儲けて、ちゃんと続いてほしい。
続く店だからこそ、安心して通える。
続く店だからこそ、人に紹介できる。
「今だけすごい店」は、客にとっても不幸なのだ。
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継続性こそが、紹介の基準になる
私が紹介したい店は、1年後、2年後に行っても、同じように食べられる店だ。
もちろん、物価が上がれば多少の値上げはあるだろう。
それでも、体験の質が大きく変わらない店。
正直に言えば、今日の店が半年後、同じ内容を続けられているかは疑わしい。
だから、今はまだ紹介できない。
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可能性があるからこそ、惜しい
ただし、すべてが悪かったわけではない。
9品の中には、明らかに素晴らしい料理もあった。
腕はあるので方向さえ整えば、良い店になる可能性は十分にある。
少し冷静に。客の体験に目を向けてほしい。
そうなったときには、私は心から「ここは良い店だ」と紹介したい。
そうなることを、心から願っている。