はじめに
今日は、僕が長年聴き続けているポッドキャスト「コテンラジオ」番外編についての話だ。
歴史を面白く学ぶ番組として有名なコテンラジオだが、今回は少し毛色が違っていた。
LINEヤフーの会長である川邊健太郎さんが登場し、「推し活」という現代的なテーマを語っていたのである。
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E7%95%AA%E5%A4%96%E7%B7%A8-130-%E6%8E%A8%E3%81%97%E6%B4%BB%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%81%A8%E7%86%B1%E7%8B%82%E3%81%8C%E7%B4%A1%E3%81%90%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E7%95%8C%E9%9A%88-%E3%82%B2%E3%82%B9%E3%83%88-line%E3%83%A4%E3%83%95%E3%83%BC%E4%BC%9A%E9%95%B7-%E5%B7%9D%E9%82%8A%E5%81%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E%E6%B0%8F/id1450522865?i=1000742235094
これが、驚くほど僕の中に深く刺さった。
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アイドルに無関心な人生
正直に言うと、僕はアイドル文化にほとんど関心がない。
嫌いでも否定的でもない。
ただ無関心なのだ。
有名な言葉に「好きの反対は嫌いではなく、無関心である」というものがあるが、まさにそれだ。
アイドルの名前を出されても、聞いたことがあるような、ないような、その程度である。
疑似恋愛も経験してこなかった。
唯一それらしきものがあったとすれば、風の谷のナウシカのナウシカくらいだ。
つか、それは二次元だ。
そんな僕が「推し活」の話に強く惹き込まれたのだから、不思議なものだ。
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推し活を宗教で説明するという発明
川邊さんは、推し活を「宗教的な構造」で説明した。
たとえば、「イエス推し」「釈迦推し」かつての人々も、そんな感覚で信仰を選んでいたのではないか、という話である。
これが、ものすごくわかりやすかった。
僕は宗教という枠組みに強い関心を持っている。
最近、釈迦について書いたように、宗教が人間の行動や価値観をどう形づくるかには、以前から興味がある。
だからこそ、この説明は「腑に落ちる」というより、「ズドンと来た」。
https://note.com/xiaohei/n/nb07ad4e8b8ba
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パウロ的立場という自己定義
さらに印象的だったのが、川邊さん自身が「自分はパウロ的立場だ」と語っていた点だ。
イエスの十二使徒の中で、唯一イエスに直接会ったことのない人物、パウロ。
しかし彼こそが、キリスト教を世界宗教へと拡張する上で、決定的な役割を果たした。
「自分はその役割に近い」と語る姿に、自己認識の正確さを感じた。
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僕は何も推していないのか?
この話を聞いて、ふと思った。
僕は、何も推していない、空虚な人間なのではないか、と。
しかし、よく考えてみると、答えはすぐに出た。
僕はずっと推し活をしている。
それは――広島の飲食店だ。
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個人ではなく、箱を推す
僕がやっているのは、特定の誰か(特定の店)を推す行為ではない。
広島の飲食店という「箱」全体を推している。
いわゆる「箱推し」である。
誰がどこで修業し、どこで独立し、どこで衝突し、何を生み出したのか。
汁なし担々麺の歴史を構造的に語ったのも、その一例だ。
https://www.youtube.com/watch?v=GUYzMuy90Mw
表の歴史と裏の歴史。
語られる物語と、語られない物語。
それらすべてを含めて、僕は推している。
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食べに行くことは、礼拝なのか
店だけではない。
食材を作る人、運ぶ人、支える人も含めて、僕は推している。
時間も、熱量も、リソースも、注ぎ込んでいる。
そう考えたとき、気づいてしまった。
これはもう、一つの宗教なのではないか、と。
神殿はない。
経典も、教祖も、教義も存在しない。
だが、僕にとっての礼拝ははっきりしている。
飲食店に足を運び、食べることだ。
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無宗教だと思っていたが、違った
僕は長い間、自分は無宗教だと思っていた。
しかし、それは違った。
僕は「広島の食文化」という対象を信仰している。
身近だからこそ、推している。
身近なアイドルを推すのと、本質的には何も変わらない。
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おわりに
コテンラジオは、今回も深いインサイトをくれた。
推し活を宗教という枠組みで捉えることで、世界の見え方が一段階クリアになった。
このテーマは、もう少し考え続けてみたい。
宗教とは何か。
信仰とは何か。
そして、自分は何を推して生きているのか。
川邊健太郎さんの回は、難しい話は一切ない。
ただ、面白く、そして深い。
ぜひ聴いてみてほしい。