はじめに
今回は、まぜ麺という料理について考えてみたい。
ラーメン店などで時折見かけるまぜ麺。
「食べたことはない」という人がいるかもしれないが、広島市では汁なし担々麺がまさにその代表例である。
中国には古くから多様なまぜ麺文化があり、日本でも台湾混ぜそば(名古屋)や油そば(東京)など、各地に派生形が存在している。
にもかかわらず、まぜ麺はなぜラーメンほどの市民権を得ていないのか。
今回は、その課題と将来性について整理してみたい。
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まぜ麺が抱える「飽き」の問題
まぜ麺の多くは、味付けが強い。
濃いタレ、パンチのある油、ニンニクや卵黄、甘じょっぱい方向性。
そして、提供時に美しく盛り付けられた具材を、ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。
結果としてどうなるか。
最初から最後まで、ほぼ同じ味が続く。
若い世代であれば、濃い味とボリュームを代謝できる。
しかし年齢を重ねるにつれ、この「同一味が持続する料理」は徐々に厳しくなってくる。
二郎系の汁なしなども、同様の構造だ。
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中国におけるまぜ麺の位置づけ
一方、中国ではまぜ麺は小吃(シャオチー)。
つまり小腹を満たす軽食として提供されることが多い。
上海の葱油拌面(ネギ油和え麺)なども、パンチのある味だが量は少ない。
するりと食べ終え、「もう少し刺激が欲しい」という余韻を残して終わる。
ストリートフードとして、極めて合理的な設計である。
問題は、日本ではこれを丼料理と同じ、一食完結型の食事にしてしまった点にある。
単品で満腹になることを求めた結果、量は増え、途中で飽き、義務感で食べ進める構造が生まれてしまった。
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味変が救いにならない理由
この構造的課題は飲食店側も理解していて、卓上に多くの味変アイテムが用意されていることが多い。
だが、これもまた諸刃の剣である。
あれこれ足した結果、どの店で食べても似た味に収束してしまう。
違いを出せる要素が、最終的には「麺」しか残らなくなるのだ。
ニンニク、卵、醤油、甘じょっぱい方向性。
構成要素が似通えば、個性は薄まっていく。
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まぜ麺の完成形は、すでに存在している
ここで、身も蓋もない話をしよう。
まぜ麺という料理の「完成形」は、すでにパスタとして存在している。
ソースと麺を最初から和え、最適な状態で提供する。
料理としての完成度は、圧倒的に高い。
客に「混ぜさせる」という行為は、マーケティング的な面白さはある。
しかし料理的合理性という観点では、意味はほとんどない。
パスタのグラム数が60〜100gに抑えられているのも、麺というものを美味しく食べさせる構造を熟知しているからである。
一方、まぜ麺は少なくても150g、普通で200g、時には300gへと膨張していく。
これは構造的に無理がある。
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では、まぜ麺はどこへ向かうべきか
まぜ麺をパスタ化すればいい、という話ではない。
それでは「パスタを食べればいい」で終わってしまう。
まぜ麺の魅力は、あの独特のジャンクさにある。
ならば、そのジャンクさを残したまま、料理としての完成度を上げる道を探るべきだ。
そのヒントは、すでに日本各地に存在している。
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「後半で別料理になる」という進化
広島の汁なし担々麺における後入れご飯。
盛岡ジャジャ麺のチータンタン。
これらは共通して、途中で料理の体験が変わる構造を持っている。
麺料理から、ご飯もの、あるいはスープへと変化する。
チータンタンは「白龍」の初代店主が生み出したようだが、汁なし担担麺の後入れご飯は、ユーザーイノベーションとして生まれた。
ポケベルの数字語と同じ構造だ。
これらは汁なし麺の弱点を、極めて自然に補っている。
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「混ぜれば混ぜるほど美味い」は幻想である
まず捨てるべきなのは、このフレーズである。
合理性がまったくない。
最初からある程度味を麺に乗せておき、混ぜなくても美味しく食べられる設計にする。
そうすれば、具材の位置関係によって味が変わり、口飽きしにくくなる。
これは南インドのミールスと同じ理屈だ。
全部を一気に混ぜれば単調になるが、徐々に混ざっていくことで、最後まで楽しめる。
人間は同じ味が続くと飽きる。
これは感覚論ではなく、科学的事実である。
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まぜ麺の「正当進化」とは何か
・途中で料理が変わる
・水分を補って胃を温める
・満腹感ではなく、満足感を設計する
この3点について指摘した。
後入れご飯でもいい。
チータンタンでもいい。
最後をお茶漬けや粥にしてもいい。
あるいは、麺の種類を変えるのも一案だろう。
ご飯を専用の味付きご飯にするのも面白い。
背脂を加えて最後までジャンクに振り切るのも、思想としてはアリだ。
重要なのは、「料理をメタモルフォーゼさせる」発想である。
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おわりに
まぜ麺は、現状のままではメジャーになりにくい。
それは味付けの問題ではなく、料理構造の問題である。
もし、途中で体験が変わるまぜ麺を本気で仕掛ける店が現れたら、僕は諸手を挙げて応援したい。
残念ながら、今のところ広島市内ではまだ見かけていない。
進化か、変化か。
その瞬間を、気長に待ちたいと思う。