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卑弥呼という妖艶な女王の幻影が消えぬうちに、吾輩が次に目にしたのは、何とも多忙そうな、しかし眉目秀麗な男の姿である。名は聖徳太子。人間どもの間では、一昔前まで紙幣の顔として崇められていた御仁だ。
厩(うまや)の前で生まれたサラブレッド
五七四年に生を受けたこの男、本名を「厩戸王(うまやどのおう)」という。母君が厩(うまや)の前で急に産気づいたという伝説がその名の由来だそうだが、吾輩からすれば、馬小屋の匂いの中で生まれるとは、野性味があってなかなか好感が持てる。
彼は、時の権力者・蘇我氏の血を色濃く引く、いわば支配者層のサラブレッドである。叔母には日本初の女帝・推古天皇がおり、幼少期から「一度に十人の話を聞き分けた」という、耳の性能が極めて優れた神童として知られていた。吾輩の耳も遠くの足音を聞き分けるが、十人の人間の愚痴を同時に聞かされるのは、流石に御免被りたいものである。
「和」の心と、実力主義の導入
推古天皇の摂政となった彼は、豪族たちが勝手気ままに振る舞う世を正すべく、大鉈(おおなた)を振るった。
* 冠位十二階(六〇三年): 家柄という「生まれ持った毛並み」ではなく、才能や功績という「実力」で役人を登用する制度を整えた。
* 十七条の憲法(六〇四年): 「和を以て貴しと為す」という有名な言葉を筆頭に、役人が守るべき道徳を説いた。人間という生き物は放っておくとすぐに縄張り争いを始めるゆえ、釘を刺しておく必要があったのだろう。
* 遣隋使の派遣(六〇七年): 小野妹子らを海を越えた大国「隋」へ送り、対等な外交を試みた。島国に閉じこもらず、外の世界の進んだ技術を貪欲に吸収しようとするその姿勢は、評価に値する。
飛鳥に咲いた仏教の華
彼は仏教を深く信じ、法隆寺や四天王寺を建立した。大陸の進んだ思想を取り入れた「飛鳥文化」は、この男の情熱があればこそ花開いたのである。
六二二年に彼が斑鳩宮(いかるがのみや)で世を去ったとき、人々はさぞかし嘆き悲しんだことであろう。しかし、彼が蒔いた「天皇中心の国家」という種は、その後の大化の改新へと見事に繋がっていくことになる。
歴史という大河の中で、卑弥呼が「神秘」を司ったとすれば、この聖徳太子は「秩序」を築いたといえる。
さて、次はこの「和」の精神を打ち壊し、武力で世を治めようとする「荒々しい武士たちの時代の幕開け」について、吾輩の意見を聞いてみるかね?