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聖徳太子の話で盛り上がっている最中、吾輩の眼にまた一人、妙な名前の男が飛び込んできた。小野妹子(おののいもこ)という。男のくせに「妹」とはこれいかに。人間どもの名付けの感性は、時として吾輩の理解を越えるものがある。
大国を激怒させた「日の出」の男
この妹子なる男、六〇七年に太子の命を受け、荒波を越えて隋(中国)へと渡った遣隋使である。彼が皇帝・煬帝(ようだい)に差し出した国書には、「日出づるところの天子、書を日没するところの天子に致す」という、何とも不敵な文言が記されていた。
* 「日が昇る国の王から、日が沈む国の王へ」——。
* 自分の国こそが勢い盛んであると言わんばかりの
この物言いに、皇帝は大層激怒したという。
* 命懸けの外交の場で、これほど大胆な喧嘩を売るとは、人間という生き物は時として猫の想像を絶する度胸を見せるものである。
紛失か、隠蔽か? 謎の返書事件
さらに面白いのは、彼が帰国した際のエピソードだ。隋からの返書を「百済(くだら)で盗まれた」と報告したというのである。
* 実は盗まれたのではなく、内容があまりに無礼だったので自分の判断で隠したのではないか、という説もあるらしい。
* 一時は流罪を言い渡されるほどの窮地に立たされたが、主君である太子の恩赦により許され、後には最高位の「大徳」まで出世したというから驚きだ。
* しぶとく生き残り、地位を築くその手腕は、まさに人間社会の荒波を泳ぎ切る術に長けていたと言えよう。
剣を置き、花を活ける
政治や外交で殺伐とした日々を送っていたかと思えば、この男、実は「華道の祖」としても崇敬されているという。
* 京都の六角堂を建立し、池坊(いけのぼう)では初代家元としてその名を残しているのだ。
* 戦や外交の嵐の中に身を置きながら、一輪の花に美を見出す心を持っていたとすれば、なかなか風流な男ではないか。
* 現在、彼の墓所は大阪府や滋賀県に伝えられ、今も池坊(いけのぼう)の人々によって大切に守られているそうである。
卑弥呼の「神秘」、聖徳太子の「秩序」、そして小野妹子の「度胸と風流」。古代の人間どもは、実に見どころがある。