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中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の影に、何とも如才ない男が控えておる。中臣鎌足(なかとみのかまたり)——後に日本最大の貴族勢力となる「藤原氏」の始祖となった人物だ。今回は、吾輩は歴史を考える猫であるの藤原氏の始祖(しそ)編である。
一足の靴から始まった大望
人間という生き物の縁(えにし)とは、どこでどう繋がるか分からぬものである。鎌足が中大兄皇子と意気投合したのは、法興寺での「蹴鞠(けまり)」の会であったという。皇子の足から脱げた靴を、鎌足がそっと拾い上げた。
吾輩たち猫であれば、飛んできた靴など格好の玩具(おもちゃ)にして、爪で引き裂いてしまうところだ。しかし、彼はそれを拾って恭しく皇子に捧げた。一足の汚れた靴をきっかけに、二人は「蘇我入鹿の暗殺」という、恐るべき計画を練り始めることになったのである。
暗躍する影の立役者
六四五年、彼は皇子と共に「乙巳の変」を断行し、専横を極めた蘇我氏を滅ぼした。その後は「内臣」として、天皇中心の国づくりを影から支える役割に徹したという。
表舞台で咆哮する皇子に対し、鎌足は常にその足元を固める黒衣(くろご)のような存在であった。その功績が認められたのは、彼がこの世を去る直前の六六九年のこと。天智天皇から、当時最高の冠位である「大織冠」と、後に千年の栄華を誇ることになる「藤原」の姓を授かったのである。
スポーツマンのミイラと悲劇の結末
近代の人間どもは、鎌足の最期についても無遠慮に暴き立てている。大阪府高槻市にある阿武山古墳が彼の墓である可能性が高いとされ、一九三四年の調査では、金糸を纏(まと)った貴人のミイラが見つかった。
X線でその骨を覗き見たところ、彼は「スポーツマンのような体格」をしていたそうだ。蹴鞠を得意とした若き日の名残であろうか。しかし、そんな頑強な男の命を奪ったのは、皮肉にも「落馬」であったと推定されている。
* 高所から落下し、脊椎を損傷したことが死因であるらしい。
* どれほど知略を巡らせ、強大な権力基盤を築こうとも、馬から落ちればそれまでだ。
* 彼の遺骨は、後に息子の定慧(じょうえ)によって、奈良県の談山神社へと改葬されたと伝えられている。
靴を拾った手が、やがて国を動かし、最後は馬から落ちて果てる。鎌足という男の生涯は、一編の戯作(げさく)のように劇的である。
さて、この鎌足が礎を築いた「藤原氏」が、やがて「この世を我が世と謳歌する摂関政治の時代」を築く様子も覗いてみるかね? それとも、彼が倒した「蘇我氏」の側の言い分も、吾輩が代弁して進ぜようか?