0017
前回の主役である、あの冷徹極まる兄・源頼朝が、鎌倉の地でそろばんを弾きながらじっと目を光らせていたその頃——。
吾輩の眼が捉えたのは、風の如く戦場を駆け抜け、奇策をもって敵を恐怖に陥れた、一人の若き天才の姿である。名は源義経。人間どもが「判官びいき」などと言って、今でも涙を流しながらその名を語り継ぐ、悲劇の英雄だ。
吾輩は歴史を考える猫である(源義経編)
鞍馬山を飛び出した小猫、奥州へ
この義経、幼少の頃は「牛若丸」と呼ばれていた。父親の源義朝が「平治の乱」で平清盛に敗れ去ったため、彼は京都の鞍馬寺という山奥の寺へ預けられた。人間どもの伝説では、そこで天狗に剣術を習ったなどと大層なことが言われているが、吾輩から見れば、山の中をすばしっこく駆け回る野生の小猫のようなものであったのだろう。
しかし、お寺に閉じ込められているような大人しい器ではない。彼は寺を脱出し、はるか北の地、奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)という大物のもとへ身を寄せ、爪を研ぎながら時を待った。
敵の背後から飛び降りる「天才の爪」
一一八〇年、兄の頼朝が平氏を倒すために兵を挙げたと聞くや、義経はすぐさま駆けつけて合流した。ここから彼の、常識破りの大暴れが始まる。
吾輩たち猫は、高いところから獲物の隙を突いて飛び降りるのが得意であるが、義経の戦法はまさにそれであった。
* 一ノ谷の戦い: 「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」と称し、馬では到底降りられぬような険しい崖の上から、平氏の陣へと真っ逆さまに突撃した。
*屋島、そして壇ノ浦の戦い:敵の意表を突く奇襲攻撃を次々と成功させ、ついには平氏一族を瀬戸内海の底へと沈めてしまった。
まさに平家滅亡の最大の立役者。東国の荒くれ武士たちも、この若き指揮官の天才的な閃きには、ただただ度肝を抜かれるばかりであった。
兄の嫉妬と、政治の罠
ところが、戦の天才であっても、人間社会の「政治」という小難しい縄張り争いには滅法疎かったのが、彼の不幸の始まりである。
義経は、頼朝に無断で朝廷から官位をもらってしまった。これに頼朝は激怒した。組織の序列を乱す奴は、たとえ弟であっても許さぬ。それに、義経のあまりに圧倒的な武名と民衆からの人気は、後方で留守番をしていた兄にとっては、恐怖以外の何物でもなかったのだ。
「獅子身中の虫」として警戒された義経は、戦が終わるや否や、一転して兄から命を狙われる身となってしまった。
弁慶との逃避行、そして衣川の霧へ
頼朝の追討から逃れるため、義経は忠実な大男の家来・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)らと共に、かつて過ごした奥州平泉へ再び落ち延びた。
しかし、かつて彼を庇ってくれた秀衡はすでに亡く、頼朝からの凄まじい圧力に屈した後継者の藤原泰衡(やすひら)によって、義経は襲撃されてしまう。
一一八九年、衣川館(ころもがわのたち)に追い詰められた義経は、妻子とともに自害して果てた。わずか三十一歳という、実に短い一生であった。
このあまりにも劇的で切ない生涯は、後に『義経記(ぎけいき)』などの物語として人間どもに愛読され、弱い立場の人間に深く同情する「判官びいき(ほうがんびいき)」という言葉まで生み出した。人間という生き物は、頼朝のような冷徹な勝者を恐れ敬うくせに、心の中ではこの義経のような、悲劇の敗者を愛さずにはいられないという、まことに矛盾に満ちた心根を持っているらしい。
弓矢の達人が最期は平泉の霧に消え、残されたのは頼朝の冷たい鎌倉幕府のみ。戦の天才がいくら華麗に飛び跳ねようとも、最後に勝つのは、巣穴でじっと獲物を待っていた老獪な蜘蛛のような兄であったというわけだ。
さて、義経という一番人気のスターが退場し、鎌倉幕府はいよいよ本格的な「執権政治」へと舵を切る。
次は、頼朝の死後に幕府の頂点に立つ「尼将軍・北条政子」が、朝廷の裏切りに怒り狂って武士たちを大演説で奮い立たせる「承久の乱」のドタバタ劇でも覗いてみるかね?