街道が運んでくるもの
西国街道を広島市内から山口県の勝間駅まで歩いてきた。
道中、街道沿いにいくつかの石碑や仏像に出会った。
旅人が通り続けた道には、こういうものがよく残っている。
地域の歴史というか、そこに積み重なった地層のようなものだ。
そこで生きてきた人々の証が、石という形で今も立っている。
疱瘡神——疫病を神として祀る
まず疱瘡神。
「疱瘡」という漢字を見てもらえばわかるが、これは疫病のことだ。
具体的には天然痘を指す。
天然痘はすでにWHOが1980年に根絶宣言を出した病気で、今は新たな患者が出ることはない。
人類が克服した数少ない感染症だ。
ただ江戸時代まで、これは最も恐れられた疫病だった。
感染すれば高い確率で死に至り、生き残っても顔に深い痕や痣が残る。
コロナどころの話ではない。
村が一つ滅びるようなことも起きていた。
その天然痘が、どこからやってくるかといえば——街道だ。
旅人が物資を運び、情報を運び、そして病気も運んでくる。
街道は管理できない。
何がやってくるかわからない。
だからこそ、こちらからできることとして、疫病そのものを神として祀った。
「封じ込めることはできないけれど、なるべく軽く通り過ぎてほしい」という願いを込めて。
これは日本人の古くからの仕草だと思う。
恐れるものを神として祀り上げ、祈りで折り合いをつける。
どうしようもない自然の猛威に対して、日本人が何百年もかけて磨いてきた処世術だ。
この石碑は大竹市のかなり郊外、JRの線路敷地内にひっそりと立っていた。
国道2号線沿いの柵の向こう側だ。
Googleマップに載っていなかったので、登録しておこうと思っている。
なかなか見られるものではない。
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橋姫——川という「境界」の守り神
次が橋姫。
これも大竹市内で、苦の坂に入っていく手前で見つけた。
昭和7年に整備されたとあり、もともとは別の場所にあったものを高速道路の整備に伴ってここへ移設したとのことだ。
橋姫というのは、非常に古い神様だ。
中世以前に遡るほど古い。
橋が守られなければならないのは、橋が「境界」だからだ。
山津波という言葉があるように、川は向こうとこっちを分ける境界線であり、生と死の分かれ目でもある。
人間は真水が必要だから水場の近くに住みたがる。
しかし川は氾濫する。
せっかく架けた橋が流されることもある。
だから橋姫という神様を祀り、橋を守ってほしいと願った。
疱瘡神と同じだ。
街道という「境界」を越えてやってくる疫病を神として祀り、橋という「境界」そのものを守る神を祀る。
集落と集落は山で隔てられ、川で隔てられ、峠を越えて次の集落へとつながっていた。
その境界に宿る神を大切にすることが、ここで生きていくための知恵だったのだと思う。
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千体仏——亡き人に似た顔を選ぶ
岩国に入ってから、千体仏を見つけた。
1715年頃に寄進されたとあった。
千体の仏像を並べた千体仏は各地にある。
有名なのは京都の三十三間堂だが、あれほど大規模なものでなくても、各地のお寺に残っている。
ここのものが特に面白かったのは、その使われ方だ。
法要で寺に詣でる際、千体の仏像の中から「亡き人の顔に似た仏様」を選んで、位牌とともに本堂に飾って法要を行う。
終わったら元の場所に戻す——という風習が残っているという。
調べた限り、これはあまり見かけない習慣だ。
岩国あたりに独特の風習として残ったのではないかと思う。
千体もあれば、亡くなった人に似た顔が必ずある。
その顔を探して選んで、一緒に法要を行う。
人の顔を大切にする、丁寧な弔いの形だと感じた。
実物の千体仏は事前に連絡すれば見せてもらえるとのことだったが、急いでいたので今回は拝見できなかった。
次に時間があれば、ぜひ訪れてみたいと思っている。
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板碑——室町時代のストゥーパが今も立っている
最後が板碑だ。
これは周南市の高水というところで見つけた。
板碑は、石で作られた供養塔だ。
写真を見てもらうとわかるが、石碑の上部が塔のような形になっている。
これはストゥーパ(仏塔)の形を模したものだ。
石のお墓ができる間、木の板に戒名を書いてお墓に刺すあれを卒塔婆と呼ぶ。
卒塔婆も元をたどればストゥーパが変化したものだ。
板碑はその石版、ストゥーパとして機能していた。
この板碑には表と裏がある。
もともとの表面だったところには、サンスクリット語で阿弥陀三尊を表す梵字が刻まれていた。
室町時代のものだということから、これは真言宗か天台宗といった密教系の文化圏のものと考えられる。
一方、大正時代になってから裏面に薬師如来が刻まれている。
面白いのは、その宗教的な混在だ。
サンスクリット語で阿弥陀を刻みながら、のちに薬師如来も加えている。
当時は宗派の区分けがそれほど厳格ではなく、顕教的なものと密教的なものが自然に混在していたらしい。
それも含めて、この石碑が持つ層の厚さを感じた。
板碑はもともと関東地方に多く見られるものだとされているが、西日本にも残っているケースがある。
これもその一例だ。室町時代のものがこれだけきれいな形で残っているのは、やはりすごいことだと思う。
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石碑に刻まれた名もなき人の祈り
街道というのは、良いものも悪いものも運んでくる。
物資も情報も、珍しいものも、疫病も、戦火も。
里と外をつなぐ道の上に、人々の願いが積み重なっていく。
できれば良いものだけがやってきてほしい。
でもそうはいかない。
ならばせめて祀って、祈って、折り合いをつけるしかない。
その折り合いのつけ方が、今も石として残っていることに、僕は胸が熱くなる。
歴史に名前を残さなかった人たちが、確かにここで生きていた。
頑張って生きていた。
その息遣いが、街道沿いの石碑から今も伝わってくる。
街道歩きがやめられない理由は、たぶんここにある。